~すぐに実行したい3つの医療安全対策~
はじめに
海外勤務者とその家族の医療安全のキーパーソンは、産業医と保健師です。しかし、これらの職種の業務の99%は、国内の一般健康管理であり、海外勤務関連の仕事は1%以下しかありません。
そのためか海外に多くの人材を送り出している大企業の産業医や保健師であっても①海外での病院のかかり方②全員に英文診断書を持たせる重要性③「突然死予防検診」などの基本知識をもっていないことは、めずらしくありません。加えて、産業医向けの講演などが「海外勤務者とその家族の安全対策は、ワクチン接種と保険加入」と妄信させるものが多く、企業の規模を問わず、必要性があり実効性の高い安全対策は少数の企業でしか実行されていないのが現状です。言うまでもなく「旅行保険の加入」は、あくまでも金銭的な事後対策であり、医療上の予防的安全策ではありません。
今回は、日本旅行医学会が実態を踏まえて構築し徐々に普及しつつある、海外勤務者とその家族のための3つの医療安全対策を解説します。
日本人の海外での病死のトップが脳卒中と心疾患である以上、これに有効な予防策を海外勤務者とその家族に提供するのが、産業医と企業保健師のいちばんの役割です。
海外勤務者のために法定健診がありますが、その内容は採血や検尿での貧血、脂質異常症、肝機能、糖尿病の有無、心電図、胸部X-P、そしてオプションとしての胃バリウム検査などです。これでは年1回の社内健診や自治体の成人病健診とまったく変わらず、海外勤務者の病死のトップである脳卒中や心疾患のリスクファクターの有無の判定には役立ちます。しかし、精度の高い突然死予防のスクリーニングにはなっていません。
動脈瘤、動脈狭窄、そしてラクナ梗塞であっても早期発見することができれば、海外で倒れる前にプラチナコイルや予防薬投与で予防的治療ができる時代です。
採血、検尿、心電図などでは、脳動脈瘤の存在や脳動脈の狭窄の有無などを診断できないのは明らかです。しかし、脳MRIおよび頭部MRA(MRIを使用した血管撮像)検査によって、これらの有無、そしてどの部位に何%狭窄があるかがはっきりと判定できます。長期渡航となる勤務者で、特に渡航先の医療事情に不安のある場合、40歳以上、脳卒中の家族歴、高血圧・肥満・脂質異常症・喫煙などの危険因子を有する人は受けるべき検査です。
2011年の統計では、日本には人ロ100万人当たり40.1台のMRIが世界に突出して普及していると報告されています。しかし、その普及に比して放射線診断医は圧倒的に不足しています。日本での3.0TMRI費用は、保険点数で1600点(1点10円として1万6000円)と米国などの1000~1500ドルと比して低コストで恵まれた医療環境にあります。理想のドックは、1.5~3.0Tの機種で技師のレベルが高く、放射線診断医による読影レポートの作成ができる施設です。企業の産業医や保健師の果たすべき大切な役割は、ハイリスク者の選別と質の高い脳ドックの案内です。
この脳MRIおよびMRAで異状がなければ、少なくとも向こう3年間は安心して海外勤務が可能です。
脳ドックと同様に、心筋梗塞予防ドックでは冠動脈の状態を3-D画像にビジュアル化するため、虚血性疾患で倒れる前にステント治療などで予防することが可能です。
マルチスライス冠動脈CTでは、どこに何%の狭窄があるか以外に、その動脈硬化巣が脂肪からできているのか、線維によってできているのか、また石灰化しているのかがわかります。
冠動脈は、75%以上の狭窄がなければ胸痛などの症状は出ません。しかし40歳以上、心疾患の家族歴がある人、動脈硬化危険因子のある人が赴任前にドックを受ければ、冠動脈の狭窄がわかるため、発症前の治療が可能です。
64列CTでは5~14mSyであった被曝量が320列では1~4mSyと胃透視(3~4mSy)以下になっています。
さらに「造影剤を使う」というデメリットも、MRI冠動脈撮影の進歩で克服されつつあります。ハイリスク者の選定、CT検査がよいかMRIがよいかの判定、および質の高い施設への案内が産業医の役割です。脳と同様に、冠動脈狭窄がなければ、向こう3年間は安心して海外勤務が可能です。
私は、1日平均5~10人のさまざまな国籍の患者を診察していますが、診察に際し、コンパクトで正確な英文診断書を持参している場合は、非常に助かっています。外来での診断機器の進歩で診断が確定しても、薬剤アレルギーの有無や服用中の薬、喘息などの病歴、あるいは手術歴が不正確であったり断片的であれば、的確な治療ができません。
この逆バージョン、つまり日本人が海外在住して医療機関へかかる場合は、自分の医療情報を英文でまとめた『自己記入式安全カルテ成人用』(以下、『安全カルテ』という)が役立ちます。
毎年3月に『安全カルテ』を大量に注文し、海外勤務者全員に配付している一部上場企業もありますが、まだまだ少数です。「安全カルテ』を採用している企業からは、①海外での病院のかかり方や医療用語などが受診時の助けになった②ただ持参することで安心感があった③「日本語の通じる医療機関」ではなく、「英語の通じる医療機関」への選択の幅が広がり、結果的に質の高い医療が受けられた―などのアンケート回答が毎年寄せられています。
高額な海外医療費に備え、旅行保険の加入も必要です。リスクのある感染症に対してのワクチン接種も勧めるべきです。しかしより大切なのは、産業医や保健師の指導により、ハイリスクの勤務者が脳卒中予防ドックや心筋梗塞予防ドックを受け海外での突然死を未然に防ぐことです。加えて『安全カルテ』の普及により、海外勤務者とその家族の医療の選択の幅を広げ、受ける医療の質を向上させることです。
■参考文献
・中田晃孝「不安定プラークを診断し突然死を予防する」日本旅行医学会学誌8:29~34、2009
・二階堂洋史「脳卒中を事前に防こう」日本旅行医学会学誌7:8~16、2008
・『自己記入式安全力ルテ成人用』、オブベース・メディカコーポレーション